あの時壊れて置いてきたまま。

ずっとあのときの自分を置いてきたんじゃないかと思う。
パッと出てきた不思議なことば。

あのときの気持ちはそれまでの気持ちと同じだったのかもしれない。
書けば書くほどに出てくることば。

人に興味がないなんて、そんなことないのに。
きっとそのさきのことなのに。

置いてけぼりになったままだから、まだ受け止め切れてないだよと。
いろいろなことを考えるだけだ。

心の人がいるんだよ。
思い出の人がそのまま立ってるんだよ。
大事にしたいから、それ以上のところに進めないのは無理ないよ。

いつか話せる人がきて、しっかりとお互いの言葉にできたら。
その時までのことだよ。

踏み込むのはこわい。
触れ合うのもこわい。
また拒絶されたり、変わってしまったり、こわい。

気づくと顔色見てるんだろな。
気づくと嫌われたくないって思ってるんだろな。
気づくとそれだけなんだろうな。

ちゃんと言葉にできれば良いのにな。
もっと素直になりたいな。

晴れたり曇ったり。

天気みたいなもので、人間も。
突然雨になったり、台風だったり、行き去ったと思えば台風の目だったり。
なんともやりようのない気持ちになっても、所詮天気はどうにも出来ず。


行ったり来たりのこの気分、どうしてくれようか。
上手く表現のし様もなく、なんじゃこれと。


日本に居る意味、あるのかな。
なんだかそういう感覚だけれど、日本以外でまだ生きられんよ、自分は。


大人になれない。

内向的で内にこもりがちだが、人間ひとりでは生きられない。

こんな神の言葉から、教えを請う。

おばんです。
とある神社に行ったときの御神籤から。


どっちに転んでも、痛い。
どのみち痛いなら、何にもしなければいい。
痛いのが決まっているのなら、全部やらなければいい。


いる意味のないこと。
やる意味のないこと。
意味のない存在のこと。


やっぱりここにいるのは駄目なんだと思います。
誰の為にもならないし、自分の為にもならない。
そんなことを思いながら、色んな人のことを思い出して。
夜道を黙々と歩きながら、考えたのでした。


時間は12年前の夏から止まってるんじゃないかとか。
一度駄目になってしまったものは、もうどうにも出来ないじゃんとか。
許せればもっと楽に生きられるのに、許せないいろいろだとか。


まだまだ未熟な子供のままで。
でも、ずっとそんなこと言っていられるわけも無く。
もっと素直にいられたらいいのに、カッコつけんなよ自分。

人に触れた分だけ、人に触れられる権利を持つ

久々の深夜の更新。
時間は2:30を過ぎたところでしょうか。
皆さま、おばんです。


色々なことがひと段落。
そんな、深夜ののひととき。


感じたこと、思うこと、本当にたくさんのこと。
元々人と接することが苦手で、どこか受身の自分。
そんな人が人と接する仕事をして、人と接して仕事を進める。


苦手意識が苦手を育てて、必要以上の人との接触を控えようとする。
控えた分だけ怖さが生まれて、人を見れなくなる。話すことが出来なくなる。
表情も消える。感情も感覚も薄くなっていく。

「受けたサービスが出来るサービスだ。」

そんな言葉を受けたのが10年ほど前のこと。


それから10年の間に自分の中で生まれた言葉が、

「人に与えられるのは、自分が与えてもらったものだけだ。」
「自分が接客してもらった分だけ、人に接客できる。」


少しずつ関わる人が増えていき、その度に旅に出る回数が増えていく。
回数と共に、徐々に遠くへ、遠くへと向かっていく。

そのバランスが崩れて、人と関わる回数が増える中で旅に出なくなった。
その中のどこかで無理が出て、何も出来なくなった。


甘えだと思う。
そんなのこじ付けだとも思う。
でも、そうじゃないと生きられないんだよな、って思う。

生きてる人、皆平等なんてことはなくて。
何かと棚ボタの人もいるし、どうにもこうにも上手くいかない人もいる。
ふらふら旅して生活できてる人もいれば、必死に働いても食えてない人もいる。
そんな中で旅しないと生きていけない人なんだろうなあ、なんて。


旅をしていると、しなきゃいけないことがたくさんある。
予定も立てなきゃいけない、調べることもしないといけない、人に聞いたり、お願いしたり、話さないといけない。
自分が苦手だろうがなんだろうが、やることがある。
でないと、生きられない。

でも、旅の最中のそういうことは嫌じゃない。
思いがけず笑顔になることもたくさんある。
家にいるときには1つも起きない事が、旅の間はたくさんある。


その時だけの関係だけれど、記憶には残る。
それが次の人に与えられるもののはじまりで、人に出来ることの源で。
また切れる頃には不思議と手が動き始めている。

それを色々あって抑えなくちゃいけないときもある。
ある程度は大丈夫でも、その反動はやっぱり大きい。
結局、迷惑をかける原因にもなる。


得る必要があった。もっとたくさんのものを。
得る時間も得るに必要な人ももっとたくさんだった。

そのケアが追いつかなかった。
そこまで重要視していなかった。
自分の落ち度だったんだよね、やっぱり。


無理しない。
自分の生き方がある。
そうしないと、自分が死ぬんだ。

日本に戻って2週間

日本に戻って早2週間。
色々な出来事があった24日間が終わり、また日本の日常が始まりました。


渡航中はとにかく勢いを感じる毎日で。

どこもかしこも工事中。
まだ伸びていくんだなあと感じる街の風景。
あってもないような横断歩道と、一向に途切れる気配の無い車の列。
その傍ら、作られてから整備された気配のない、崩れた歩道。
まだまだ追いつかないインフラを追いかけて作る国々。


不便なところも多いし、危険な目に合うこともある。
油断すると日本ではあり得ないような事故も起きる。

でも、なんだろうね。
人々の表情が生きてるし、街が元気だから許せる。
不思議な感覚だけれど、不便でも許せる雰囲気がある。
余裕の違いなのか、なんなのか。


未だに消化出来て無いようで、日本に帰ってきた感覚が薄く。
どこかで戸惑いながら、流されていく毎日のようで。

不便なあの国がいいというわけではないけれど、このままのこの国でいいような気はしない。


自分が何が出来るかなんて、わからないけれど。
どうも生かされてしまっているようなので、何かしなきゃいけんのかなと。

あと半月で。

旅に出ます。
約1ヶ月の長旅です。

日々を過ごすに目的は大事。
ただただ過ごしていると、流れてくだけで。
本当になんなんだろうなあなんてことを思います。


歩きながら、考えること。
歩みながら、思うこと。
絶えず進みながら、進みながら。

不思議と冴えてくる。
見えてくる。

気付けば軌跡が残ってる。
そんなものなんだろうな。

朝日と共に歩き、夕日を眺めに歩みを止める


体を動かすこと、歩きながら考えることで物事を整理する。
分からない時ほど、見えない時ほど、くたくたになるまで動く。
そうすることで過度に考えすぎないで、まとめることが出来たり。

本当に不思議なこと。
でも、とても大事なこと。

眠り方を忘れたらどうする。

午前2時のおばんです。
タイトルの通り、眠れません。


眠れなくて眠れなくて、最後にすんなり眠れたのはいつのことか。
今年に入ってからというものの半分以上らすんなり眠りにつけていないと思う。

そんな生活が続いていると体も眠り方を忘れてしまうようで、体が眠りを欲していても頭がそれについていかない感。


どこいったんだ、私の眠り。
22:00~7:00までしっかり寝ていた私は。

眠いです。
でも、寝たいときに眠れません。