『いつものいい人』

おばんです。
24日の深夜の更新、訪れる回数が増えたのは話せない何かがあるからか。
…まあいきましょうか。


先週、今週と2週続けて千葉に用が出来、今週は全行程車にて行って参りました。
ああいう場では人の様々な表情が見えて、勉強になったり、また悲しくなったり。
しかしながら、またなかなか会えないかたに会えるのも魅力で。
今回もまた、先祖の流れを知る上で大事なかたに出会えました。
…更に謎も増えたのはおいておきますが。


あんまり言葉に出したくないけど、辛い。
もっと辛い人も知ってるし、これが原因で辛くしてる人もいるけども、辛い。

『いつも』してる事でしていい事ははなんだろう。
逆に『いつも』してるけど、しちゃいけないことはなんだろう。


…そんなん結局は向こうの主観でしかなくて。


『いつもの自分』は何者で、どこにいる自分を指してるのかもわからない。

わかんないものを示されて、この人で居てくださいと言われても、わかんない。

『いつも』に『』で蓋されて、わかんなくなってる。
その『いつも』は彼しかしらない『いつも』で、人それぞれの『いつも』は違う。


『いつも』の人は『いい人』で、『いつものいい人』はその時だけの人。
みんなに『都合がいい人』で『使い勝手がいい人』。
…つくられたひと。


そんな人、本当は要らなくて。
少しくらい辛くとも、必要だからいるだけで、必要ないなら要らない人。
それが『いつもの』自分なら、人間として味がないもの。
…作られた人が傍目魅力的なのは、当然だけど。そういう人たちを見て、作った人だから。


久々にようやく出会えたのにな、ボロボロの内側を見せても大丈夫な人に。
なのに、またハードルあげちゃった。

でも、またなんでも話せるようになりたい。容易じゃないけど。
だから、また頑張る。
時間を掛けてでも、一生笑いあっていきたい。