自分と他人っていったいどうなっているんだろう。


相手の全てをわかることは出来ない。
それは自分自身を分かる事が出来ないのとは少なくとも違う。


最近、とある人からのメールにどこか一喜一憂している自分が居る。
メールを送るのにおいても、今まででは有りえない位慎重になっていて、何度も見直していたり。
別にそんなつもりなんじゃないって、最初から思ってはいるのだけれど。
メールの返信が遅いと、なんだか気になってしまったり。
たまにドキッとしたメールが送られてきたり。


そんなとき、相手がどんな気持ちで言っているのかが気になる。
それはメールだけに限った事じゃなくて、実世界の上でもなのだけれども。
単なるノリからくる冗談なのかもしれない、冗談の中に隠された本音があるのかもしれない、本気なのかもしれない。。。なんて。


なんていうのかな…9月のあの日から、より深くいろんなものが見えるようになった気がする。
それは今まで得る事のなかった、気にも留めなかったものばかりで。
その人が居なければ、無縁だったかもしれないもので。


今までみたいに失敗ばかりしてるけれど、それでもその度に得るものは必ず役立っている。
人から見れば大した事じゃないのかもしれないのだけれど、俺にとっては今まで欠けていた大事なことで。


そうあの日から始まったこと。
やっぱり、性別が異なれば考えてる事は大きく違っていて。
でも、なんとなく直感的に分かる事は分かる。
…それでもやっぱり、細かいところはどうにも理解できなかったりして。


たった3年、だけど3年。
この間に起きた事は、何度も言うように特別で、大きくて。
自分の生き方すらも変えてしまうくらい、とっても大きな事で。


こうやって俺が、一日一日出逢ってきた人たちは運命以外の何モノでもない。
どこか一つでも、歩く道を一歩でも変えてしまえば変わってしまう、そんなもの。
だから、とても大事な人たちで。


そうだから、他人のことをいろいろと考えてしまって。
考えても、考えても、それは見えるはずの無いものだけれども、考えてしまう。
一言一言が、凄く不安で、それで全て決まってしまう気がして。


今日のご飯中、俺はなんだろうって思った。
何一つとして満足に出来ない自分が、人の事を思いやることも出来ないのに、偉そうなことばっかり言っていて。
実際には、人を不安にばっかりさせているんじゃないかって。


思い出すと、そんなことばかり。
あの人も、この人も、そして彼女も。
本当の自分を認めようなんてしないで、どこかでひたすら隠していて。
自分も無理していた。相手にも無理をさせていた。
…不安がらせていたんじゃないかな…。。。


こんなことを書いてしまうとまた、俺は人と不自然に関わるようになってしまう。
前も、その前もそうだった。
でも、ここを乗り越える事が出来て初めて、本当の人付き合いが出来るんじゃないかって思う。
思いやる、でもそれは自分が無理をすることじゃない。


人の気持ちをわかることなんて出来ない。
でも、それは自分が自分で居られるようになれば、自然となんとなくながら分かる事なんじゃないかって思う。
ただ、メールでは自分が自分で居られる事はないし、絶対に無理な事。
だから悩む。いろいろと。


率直に聞いてみることが、もっとも大切なのかもしれないけれど。