キツイことを言うこと。


確かに酷いって言えば、楽かもね。
そう、酷いって言った人は楽だろうね。
でもそれが上辺だけの事しか見えていない人で、本質なんて分かっていてはくれなかったり。


深く物事を理解していける彼だから話せること、しっかりと話を聞いてもらえる彼だから話せること、そうでないから単なる笑い話で終始終わる彼。
分かってもらえると思うから、表に出して辛くキツイことを言えるわけ。
勿論、そのあと俺がその事で相談されたらしっかりとサポートしなくてはならないんだけれども。


「酷い」とか、そんな簡単に言うべきものじゃなくて、まずはそれぞれの状態を理解して、初めて何か言えるものだと思う。
だから、途中から入ってきていきなり「酷い」とか言われるとプツンと来る事がある。
勿論、表情に出る事は稀なんだけれども、あとで考えるととても許せない事で。


まぁ最近はそういうこと全体を「可哀そうな人だな」って思うようになっている。
だって、そういう風にしか見れないっていうのは、やっぱり視野が狭いっていうことで。
舌足らずな俺だから普段からキツイこと言ってるかもしれないけど、長年一緒に居ればそれくらいは分かるもんだしさ。


あんまり見ず知らずの他人に対して、何があったとしても「ふざけんじゃねー」とかっていう感情は殆ど無くて。
大体そういう状態になったら、「可哀そうな人だな」っていうのが当たり前になりつつある。


自分自身が他から見て「可哀そうな人だな」って思われてたって思う。
だから、そんな風に人を感じることがあるわけで。


物理的に可哀想って思うよりも、精神的に、人間的にの可哀想の方がなんだか本当に可哀想に思えてくる。
物理的になら仕方ないって諦めがつくけど、そうでない場合っていうのはどうにか出来ることもあったりで。
だから、ウチの親とたまにそういった系統の話で対立する場合がある(苦笑


昔だったら、普通に流していた感覚。
そういう感覚が、自分の場合は違うっていう風に持てるようになったのが、自分自身が成長したっていうことなんじゃないかなって、書きながら感じていた。