この3年近い間に起きた事。


始まりは何度も書いてあるように、高1だ。
当時はまだまだ特定の事にしか興味がなくて、日常におけるものに興味がなかった。
あの頃はしつこくて、相手の事を知ってもいなかったり、そもそも知識なんてなかった。
それで嫌われて、縁切られて、昔の関係者と逢う事も出来なくなった。


『変わろう』って思ったのは、それが最初じゃないかな。
ただ最初は何をどうすればいいのか分からなくて、とりあえず忘れるが為にいろんな人とメールをするようになった。
辛いから、ただ辛くて忘れたくて、その一心でメールをしていた。


その中で、いろんな人と出逢ってメールして、いろんな人の意見を聞いてみたり、他愛のない会話をしてみたり。
最初の方はまだ、気持ちの部分では何も変われてなくて、相変わらず嫌われるようなことも言っていた。
そんなこともあって、もう異性とは関わりたくないとか思う時期もあった。


その後も様々な人とメールしたりで、一つ一つは大した事ないんだけれども、なんていうか普段話しているような感じで話しているから、与えられたものとしては全体的にかなり大きなものだった。
そうしていく中で、相手に心配されたり、安心させられたり。
今までそんなに大きく感じた事の無い感情が、なぜか湧いてきたり。
そんなことがあったりした。


あの日以来、自分もいろいろ考えた。
ただそれは、徐々に今までのような自身だけで考えるものでなくて、多くの聞いた事、教えられた事、失敗した事がどんどん出てきて。


凄く辛かった。
迷惑も掛けた。心配させた。
人として生きていけないと思った。自傷もした。


でも、いつもどこかには誰かが居て、思い出させてくれた。
辛いことばかりで、思い出すのが嫌だった。
それでも、忘れかけた頃には必ず出てくる、そういったもの。


もう駄目だ。って思ったことが何回あっただろう?
考えなくて済むものなら、どれだけ楽なんだろうって思ったことか。


それでも、そのときそのときで
『もしここで止まってしまったら、今までの事はなんだったのか。』
とか、
『俺がココで投げ出してしまったら、何が残るのだろうか。』
とか、自らが自然といろんな事を問いかけてきた。


泣く事なんて殆どなかった自分が、よく泣いていた。
いろんな事を考えて、泣いていた。
そんな自分を偽る事は出来ないから、泣いていた。


泣く理由なんて沢山あって、怒り泣いたこともあれば、辛い泣きもあった。
自分がどうすれば良いのか分からなくなって、ただキーボードに向かって打ちながら泣いたり。
相談する事も出来なくて、相手に当たることも出来なくて。
そういうこともあったりした。


そうした後はなぜだか自然と少しずつ変われていった。
なぜか、泣いた後ほどすっきりした頭で考える事が出来た。
そして、少しずつだけど変われていったんだと思う。


全てが吹っ切れたわけじゃない。
だけど、少なからず迷いは減った。
自分でも、どこでどう吹っ切れたのか、未だによく分かっていない。
ただ、今ある自分がなんとなく昔と変われたような気はする。
別に絶対と言える根拠は無いのだけれど、そんな風に感じることがある。


ホント、期間の長短に関わらず人数を足せば50人にもなるかもしれない、自分のメル友。
決して本当の友なんてものではないのかもしれないけれど、俺にとっては大事な大事な人たちで。
今のメル友もとても大事な存在で。
そういう人たちが居なかったら、自分は結局何も変われてないし。


辛いときを超えるからこそ、そこには違うものがあって。
それは何もしなければ、絶対に得られないもの。
それは必ず苦労するに値するものだと思う。
その辛い時期を耐えてこそ、次の自分へと移り変わっていく。


彼女が語った事を俺も体験した。
本当にあの夏は辛くて、しんどくて、毎日のように泣いていた日々だった。
でも、そこから先に自分が得たものは、発想の転換がなければ得られなかったし、今となってはとても大事なこと。
だからこそ、遅くても良い、でも少しずつ進んでいかなくちゃいけないんだって言える。


もっと書きたいと思っても、これ以上上手く書く事が出来ない。
もっと上手く書ければ、もっと多くの人に役立つのかな…とも思う。
…いろんな意味で、もっと勉強しなくちゃね。