表現出来る様になったきっかけ。

昨日のような事を書くと、色々と良し悪しはある。
それは十二分に分かっていて。

他人のマイナスな感情なんて、得するものではないし。
見たくも無いのに見せられたら、たまったものじゃないことも分かる。

ただ、どんなことでも言葉にすることが難しかった頃があった。
今も昔のような状態に陥ることがあるけれども、でも普段は違う。
そんな昔のこと。


学校というものに通うようになってから、色々とあった。

何故か1人になることが多かった。
今にして思えば大した事のないものも多かったのかもしれないのだけれど、あの頃は本当に押し潰されてしまいそうなくらいにその雰囲気や空間が苦手で。
逃げ出したくなる事も少なくなくて、無理やり学校に連れて行かれることもあったりした。

話すこと、喋ること、書くこと。
何かを日本語で表現することが苦手で、嫌だった。

カツゼツが悪いこともあって、喋ると馬鹿にされた。
先生からもそれについて言われることがあった。
喋ることが嫌で、発音しづらい言葉は避けるように喋るように気をつけた。

音読も嫌だし、国語の授業で読まなきゃいけないときは、読むであろう文章を予め先読みしてた。
授業が終わる時間に近付いているときは、自分の順番が来ない様に祈ってた。
本当に嫌で嫌でたまらなかった。

どのタイミングで何を言われるかわからない。
話していても、結局はそうだった。


書くことも嫌だった。
厳密に言うと、「何を書けばいいのか、わからなかった」

作文で題が出されても、どんな風に、どんな事を、どんな順番で書けばいいのかわからなかった。

最低限書かなければならない文字数まで書くのも困難で。
放課後に残って、それでも書けなくて…なんて事は数え切れないくらい沢山あった。

たまに書けても、それを返されて。
書き直すことも少なくなかった。
何を直さないといけないのかがわからなくて、また書けなくなった。


相手が求めている文章を書かなくちゃいけない。
相手の思うように書かなくちゃいけない。
正解を書かなくちゃいけない。

「どうしたらそうなるんだろう、なんで書けないんだろう。」

いつも残される。
数人しかいない、放課後の教室。

ただただ夕日に当たりながら、視線はぼーっと原稿用紙と窓との間を行ったりきたりして。
ただただ時間が流れていくのを待ちながら、やりようのない時間を過ごしてた。

やっぱり書けなくて、怒られて。
家に持って帰っても、やっぱり書けるわけもなく。

深夜まで睨めっこ。
出来なくて、早起きして、なんだかよくわからないものを書いていたような。
何を書いたかもわからないようなものを出して、やっぱり先生は浮かない顔で。

嗚呼、きっとまた駄目なんだろうなって、繰り返し。


中学になって、国語の先生が担任になった。
少し変わっていて、癖がある人だけど、面白い人だった。

書けない自分はその時もそのままで、シャープペンはいつもノートと数ミリ離れてた。
そんな時の一言だったんだよね。


「なんでもいいから、箇条書きでもいいから、書いてみな。正解なんてないんだから。」


最初は戸惑ったような覚えがある。
どうしたらいいか、わからなかったけれど。

おそるおそる、書いてみた。
先生がノートを見た、「書けるじゃないか」と言われたような気がする。
「面白いから黒板に書きなさい」とも言われた。

少しずつ書けるようになった。
国語の授業でよくあるような、その時の主人公の気持ちであるとか、作者の考えであるとか、そういうもの。
作文も少しずつだけれども、書けるようになった。


「正解なんてなくて、いろんな感じ方がある。」
「それぞれの感じ方は○×じゃない。」
「だから言葉は難しい。」
「だから、綺麗な日本語を使いたい。」


そんな風に考え方が変わったような気がする。
その後、高校ではまた普通の先生の授業になったけれど、その考えは変わらず。
それはそれで気にしないようになった。

後々、様々な方言に触れる機会が出て来てからは、


「ただ単純に綺麗な日本語を使うよりも、方言も含めて一番伝わる日本語を使いたい。」
「標準語では間違っていても、方言としては間違っていないものはそれで良い。」
「普通と違うことに拘っているよりも、理解して対応する方が良い。」


などなど、より考えて、でも表現出来るようになった気がする。
ここで使ってる「おばんです。」は、当時札幌の郵便局員さんが言ってた心地好さからのものだしね。


そんな色々があったなあと、1ヶ月ほど前にきっかけがあった思い出しました。
よくよく考えてみれば、表現出来るようになった頃にブログを始めたのでした。*1

あれから12年が経ちますが、その元々の困難な部分と向き合う時期に来たのかなあと思うのです。
それが先天的なものだったのか、後天的な、性格的なものだったのかも含めて。

随分とあの頃と比べれば生き易くはなっているのだけれど、やっぱり難しさを感じる局面が最近多くなってきて。
他人と話すのを出来るだけ先延ばししようとしている自分を感じることもある。
純粋に上手く会話が出来ない、伝えられないし、伝わらない状況が多く感じる。

今まではそれを理解してもらって、対応してもらえる人がいたのだけれど、今の状況は違う。
立ち位置を考えると、今後悪い状況になる可能性は高いかなと思う。


考え方も変化して、表現は出来るようになった。
けれども、本質的な部分は勿論変わっていないところもある。
その部分で難しさを感じている。

今後、どうしていけばいいのか。
このままではきっとおんなじ状況が起きるかなと思う。

そんな訳で、来週検査を受けます。
自分を知る為に、もっと自分も周りの他人も生き易くする為に。

誰も不幸にはしたくない。
平和に暮らしたい。

今はその為に時間をください。

*1:当時はLivedoor Blogでしたが。