性質(タチ)だから。

きっと、治ることなんてないんだろうな。


ふとした事で「嗚呼、まだ人との関係を深めるのが怖いな」と思った。
本当にこうも些細なことでここまで深く思うようじゃ、まだまだだなあって。


なんとなくわかってて、そこから踏み出すことが怖い。
間違えばされたことと同じことになるし、また一度終えなければならなくなる。
必要以上に臆病になっているところ、それが相手にどう思われるかなんてわかっているけれど。

自分の態度の裏返し。
言葉も態度も親切も何もかも、すべては自分に戻ってくる。
そのときの自分がどうしたか、それは全てに顕れる。


根は変わることはないけれど、徐々に徐々に葉で覆い、花で飾り。
だけれど、むしろそれは奥に潜むそいつを見えづらくして、ふとしたときに衝撃を与える存在になって。


変わった。
あの頃とは変わった。
どんな形であれ、それ自体は年齢の積み重ねの結果なのだろうけれど。
もうそんな、わき目も振らずに追えるほどの気力もなければ、気もない。


人に聞けない。
その人に関する、深いところを聞けない。

…それは自分の過去に後ろめたさがあるから?

…それは触れられたくない過去があるから?


そんな事を考えても、よくわからない、無駄なこと。
今があるのはそれがあるからで、そうして出会いがあったこともまた事実で。
それが良かったから、こうして今も生きてて。
そんな流れで今こうして働いていて。


でも触れられても相手にとっても良い事はないし、自分は自分でそんなことまで説明したくないし。
適当に返したところで、反応が芳しくないのは知っているし。
もし相手が同じようなことを聞かれたらと思うと、とても聞けないし、聞く気になれない。

…自分が聞くってことは、聞き返されたら答えなくちゃいけないわけで。


考えて、考えて、疲れて、寝て、起きた。
そんな2年間を過ごして、辞めて、仕事して、引っ越した。

もうこんな事を考えていても無駄じゃん、答えなんかない。
結局そんなんだった。


そんなここ2年は繰り返し。
またきっかけで考える。前を思い出す。違うことをする。
それが自分で、自分以外の何者でもないから、考えない。
そんな自分でも大丈夫な人は周りに来るし、駄目なら来ない。


難しい話なんかない。
ごくごく単純な話。
好きか、嫌いか、そうでないか、だけのこと。


周りは大人になっていく。
自分だけ取り残されたような感覚は未だにずっとあるけれど、きっと歳はとっていっているから、気にしない。
こんな大人がいたっていいじゃない。むしろ年下には自分なんかもっと越えていってほしいし。


いろいろあって、今があって。
本当にいろいろ考えたけれど、それは感覚でしか残っていない。
結果はいつもおんなじで、答えが見つかることなんてそうそうなくて。


だから、今ちょっとくらい躓いててもいつかどうにかなる。
一度でも底に落ちれば、その後は楽だから。
そう何度も底に落ちることもないし、対処もできるようになるし。


…そんな気がするんだけれど、まあそんな風に上手くいかないのもまた人間なのかなあ。