興味と関心、見方。
ここに一冊の本があるとしよう。
本があれば、読もうとする人もいるし、そうでない人もいる。
読むといっても、流して読むか、一語一句をなめるように読むか。
そして、作者の意図と似たような解釈の人もいるし、違う解釈をする人もいる。
俺は、特定の相手からのみ与えられる解釈では耐えられない。
早い話が、ガッコの授業でのことなのだが。
そんな読み方では、解釈が偏るし、多くの人の読み方も分からない。
本を読むというのは、それぞれの人の経験などによって、出来上がる情景も変わってくるものだ。
しかし、一方的な解釈のみを投げつけ、それを受け付けないものは反抗分子として始末される。
これでは、本来の楽しさ、面白みが全くなくなってしまうではないか。
俺は、多くの人の考え方を見ることが好きだった。
同じものを読んだとしても、それぞれが感じるものは少しずつ違い、そこには実世界の本人も必ずある。
だから決して、一つの解釈のみを正当するべきではないと、俺は思うのだ。
一つの詩があった。
俺はそれを与えられる解釈とは違う解釈をした。
たぶんではあるが、そのような解釈を記せば、必ず正当にはならないのであろう。
違った角度から物事を見ている人が、俺は好きだ。
しっかりとした理論の上で成り立つ、見方。
概念には捕われない、新しいもの。
最低限では、興味も関心も何も無い。
テストの為に覚えるだけのものではいけない。
大切な、表現なのだから。
改めて、国語、しいては現代文が好きだということが分かった気がする。
昔は大嫌いだったものなのに、何度呼んでも飽きない本に出逢って以来、見方がすごく変わってしまった。
今は漢字が大嫌いだ。全くやりたくない。
漢字以上に大事なものが沢山あるのに、それを漢字というものが潰してしまっているのだから。
…明日、漢字テストだが、一向にやる気が出ない…。。。