自然が遠い

自然の中に生きるとある民族は【自然】という言葉を持たない。
それと同様にこの言葉にとても都会的なものを感じるのはなぜだろうか。


もう2年。
1日こどに進む雪融け。
芽が息吹くとはこういうことなんだ…と、雪に埋もれた中にぴょこんと飛び出た、写真の世界にあるような新芽を間近に見た。


2010年、東京。
決して自然がないわけじゃない。
桜もあるし、雑木林もある、地面が土のところだってある。


…なんだけれど、なんだろな…距離を感じる、かな。


福岡は自然がいっぱいで創作に…なんて記事を数年前に見た。

川が北に向けて流れる違和感は全てなくなることはなく。
5kmで山、10kmで牧場、20kmで野生のキツネ。
日本海側の大都市で、でも少し行けば密度の差こそあれ田舎。


分けられた自然。
人間とは違う場所。
はみ出すことは許されない。
感覚的なものしか残らないけれど、そんな。


きっと昨年も書いた。
季節を感じられないって。
自然が無意識に触れるところにない。


変化に気付けず、雑になってく。
都会的なそんなものは求めてない。
自然な感覚で当たり前なこと。
一時期と比べて力が衰えたのはそのせいなのか、どうなのか。
当たり前の当然なことが出来なくなってるのが嫌。


自分の持ち方を考えて、生活を省みる。
言葉にすると大層偉そうな感じで嫌だ。
こういうの、なんか都会的。



言えた質じゃないし、身勝手だけど。
…帰りたいな。