自分なりに少し考えてみた

過去、自分が辛くなったときにどうしてたかなって。
でさ、色々思い出していた。
そこで思い出した事、これは高校時代の放課後トークにも通じる部分があるのだけれど。


いつになっても自らの原動力はあれなんじゃないかと思った。
そのあれとは本当に馬鹿みたいに単純で、叶うわけもないんだけれど、それをひとつのものに組み立てて、作っていく空想。
…いや、叶ってしまわないから只管向かっていける。進んでいける。
空想なんてそんなものだと思う。


小学校時代なんか、それが著しかった。
毎日が辛いのに、それがある為にどうにか乗り切れたようなものだった。
本当にそれは空想で、現実ではないのだけれど、1日のうちに数分考えるだけで、何か違う空間を生きているような感覚になれた。
そうして、乗り越えてた。


中学に入ってもそれは同じで、同じようにして空想の世界と現実とを行き来することで生き延びてた。
学校での授業中ですら、隙があると考えてた。
逆にそういう隙のない授業っていうのは軒並み成績が悪かったりして。そういうもの。
…その後高校時代になるとそれは崩壊するんだけれどね。
ま、ある程度は致し方ないことで、現実問題としてそんな風に生きている事自体が他からするとありえないのだが。


多分今でも、同じようにすれば生き残れるとは思う。
現実に同じような事はしているわけで。
…ただ今までとは距離感がまるで違う。すんごい近いところにある。
だからこそ、その現実が近過ぎて空想にならない。
現実過ぎてそれを原動力に出来ずに、現実に走ってしまう。


空想癖で生きてきた。
こういってしまうのは大袈裟かもしれないが、そうなのだ。
そうしている時は現実があまりにも惨過ぎた。見れなかった。
であるから、現実に目を向けざるを得ない状態でそれを絶望し、底に落ちてきたのかもしれない。


少し試してみても良いかなとは思ってる。
それを邪魔するものは沢山あるけれど、そうして生きてきて上手くいったのなら、そうするしかないと思ってる。
二重生活みたいなものだけれど、相当楽になるからね。そうすることで。
でもなぁ…これって落ちた時が結構大きいんだよなぁ…ま、行動にリスクは付きまとうか。そうか。


絶対に上手く行けば必ず成績も上がるし、学校も休まなくなる。自分の世界が出来上がる事で、自信も付く。
これだけは言える。それをしていた当時は、今以上に悲惨だった時代なのだから。
今のは殆ど身から出た錆みたいなものだからね。


深夜の戯言のようだけれど、慣らす為にも外に出なくては。
まずは学校に行くところから。あの人に相談してみるか。