メディアの世論誘導(福知山線事故の場合)

 前から疑問に思っていた事ではあるのだが、何故マスコミは万人ウケする解釈でしか、報道をしないのであろうか。
 ちょっとした例を挙げたいと思う。

 ・福知山線脱線事故

 必ずこの話題が挙がるとき、マスコミはJR西日本の体質が…との常套句を使います。
 それが、見ている側に伝えやすい…言い方を変えれば、誘導しやすい言い回しなのです。

 しかし、私はそれだけが原因とは思ってはいません。
 むしろ、そうさせたのは我々なのではないか…と思うわけです。

 まず、この話題ではあまり触れられていない事なのであるが、電車が遅延することによって、どれだけのお客様が苦情を言ってくるかと言う事が、あまり世間一般には知られていないらしい。
 人命軽視だの、体罰教育だのの前に、たった15秒、1分でも電車が遅れると苛立ち、苦情を言ってくるお客が少なくないことを報道していただきたい。

 これは自分自身が内情をある程度知っているからだとは思うのだが、なぜ日勤教育があのようになってしまったか…というのは、ある意味乗客側にも問題があると思うわけである。

 どこ大都市の鉄道の路線でもそうなのだが、朝の時間帯はどの路線も殆どと言っていいほど、必ず遅延しているものなのである。
 それが余裕の無いダイヤと言われてしまえば、それでお終いになってしまうのだが、だからといって余裕を持って速度を遅くし、停車時間を長くしたのならば、列車本数は少なくなるし、所要時間も延びる。
 つまり、今以上に混雑が激しくなる…ということである。

 一般の乗客側からしてみれば、そんな鉄道の仕組みは分からない訳であって、勝手にそんなことをされれば、必ず苦情がくるのである。
 そんな中で、事故が起きたら全ては鉄道側の責任となる…。

 これは無責任というものではないのであろうか。
 確かに、それを運行しているのは鉄道かもしれない。
 だが、それを望んでいたのは紛れも無い、乗客側なのである。

 プロだから、とか、それが当然である、とか人は言うのだけれど、そんな事は誰でも言えるのである。
 本当の原因は、自分自身にあるのかもしれない、ということを常に考えて頂きたいと思う。
 それが、本当の原因究明になるのではないか…と思う。

 人は自分勝手である。
 こと、日本については時間に厳密過ぎるところもある。
 それが高度経済成長における、大きな原動力になったのかもしれない。
 ただ、それが行き過ぎる事は、自分たちの余裕を奪っていってしまったのだろう。

 あのような事故が再び起こらないようにするためには、もっと広い視野で物事を見る必要があると思う。

※ この記事は、篠川元康の個人的な見解であり、それによって傷ついた方々、気分を害された方々には申し訳なく思います。
  ただ、このような見解はマスコミ側からはあまり提示される事が無く、また、そういった現実を知らない方々にも理解していただきたく、Blogに記しました。
  また、ご遺族の皆様には大変不愉快な文章かとも思います。
  ですが、私の意図が解って頂けたら嬉しく思います。

  最後に、被害者の皆様のご冥福、ご回復を心よりお祈りいたします。